日本最古の予防医学書である養生訓は、 著者の貝原益軒が84歳の時に認た(したためた)ものです。
「人生50年」といわれた江戸時代に、これほど長寿を全うし、しかもいきいきと晩年を送った益軒の人生哲学が、この名著には凝縮されています。
いうなれば養生訓は、高齢社会を生きる私たち現代人が学ぶべき、「健やかに老いる」ための金言集(きんげんしゅう)ともいえるものなのです。
貝原益軒の人物像
貝原益軒は、1630年(徳川家光の時代)に、筑前(今の福岡県)で生を受けました。
19歳で当地の黒田藩に仕えますが、2年足らずで免職され、7年間もの浪人生活を余儀なくされます。
その間、苦労して中国医学と儒学(孔子の教えに基づく学問)を学んだ益軒は、その学識が認められて復職し、藩士兼学者として71歳まで勤めあげたのです。
退官後は、精力的に執筆活動に励み、養生訓や大和本草(薬用植物を中心とした生物図鑑)など、歴史に名を残す書物を完成させます。
これらの作品は、なんと彼が80歳を超えてから書きあげたもので、まさに「終生現役」を通した人だったのです。
しかしながら益軒自身は、生まれつき病弱で、生涯病気に苦しんだといわれます。
また、親子ほど年の離れた妻も身体が弱く、それだけに絶えず健康に留意し、養生に努めたからこそ、長寿を全うできたわけです。
つまり養生訓は、益軒が自らの経験に基づき、そのノウハウを記した、「健康長寿の手引き」といえるものです。
だからこそ具体的で説得力があり、時代を超えて多くの人々の共感を得ることとなったのです。
養生訓が教えるもの
養生訓は、全八巻に及び、長生きのコツに始まって、食事法や呼吸法、心の持ち方、お酒の飲み方、薬の用い方、老後の生き方、性生活についてなど、トータルな視点から、健康長寿のポイントが説かれています。
その一節を引いてみると、例えば食事法については、「珍しくておいしい食べ物に出会っても、腹の八、九分でやめるのがよい」、「すべての食事は、あっさりした物を好むのがよい。味が濃く脂っこいものは、たくさん食べてはいけない」(ともに巻三)と述べ、食事は生命を養うものだからこそ、節度をもって食べるべきだとしています。
また、心の持ち方においては、「心は身体の主人である。・・・身体は心の家来である」(巻一)と、心と身体は密接に関係していることを説き、だからこそ「心は楽しくもって、苦しめてはいけない。身体はよく動かし、休ませすぎてはいけない」(巻二) と心がけて、心身のバランスを保つことの重要性を教えています。
どれも現在では、医学的な裏づけもあり、健康を維持するための常識となっている事柄です。
しかしそのことを、今から300年も前(まだ健康法という概念もなかった時代)に書き記していた益軒の英知には、改めて驚かされるばかりです。
さてこうして見てみると、養生訓には、「~してはいけない」とか「~がよい」という表現がよく使われています。
そのため、厳しい戒めが書かれた本と思われがちですが、それは必ずしも正しくありません。
巻一に、「長生きすれば、楽しみが多く、有益なことも多い。日々これまで知らなかったことを知り、月々に今までできなかったことができるようになる」という表記があります。
つまり、人生を楽しむための長生きであり、その手段として養生が必要なのだと説いているのです。
そして、「養生のためには、中(ちゅう)を守るのが原則だ。中を守るとは、万事に過不足のないことをいう」(巻二)と教え、何事もほどほどが大事で、欲が起こったらそのつど我慢することが養生の道、ともしています。
「どうせなら楽しく生きたい、でもそのためには少し控え目にしましょう」と、当時の庶民向けにわかりやすく書かれたのが養生訓なのです。
そうした意味で、気楽に繙く(ひもとく)ことのできる古典の名著だといえるでしょう。
いつまでも元気で、素敵に年をとるために皆さんも養生訓の扉をたたいてみてはいかがですか?